恐怖の頭脳改革

大罪を犯して人間としての苦役を背負ったパグ犬が必死に頭を使って考え事をする場所。

諦めんなお前!ダメダメダメ、諦めたら!

松岡修造MADってめっちゃ好きだったんですよね。
なにしろ発言が全部ポジティブなんで、あんまり人をクサす笑いがなかったんですよ。
いや、松岡修造に迷惑だろと言われたらそれまでなんだけど。

それはそうと、最近「諦める」ということが持つ大きな価値について考えています。
思うに、人生の本質って「諦める」ことなんですよね。
何を悟ったようなことを…と思われるかもしれませんが、結構マジな話です。
ヒトは生まれた瞬間にいきなり、ひとつの諦めを迫られます。
それは、肉体がもう片方の性別であること。ジェンダー論的なニュアンスはゼロに、事実としての話です。
場合によってはその瞬間に生きることを諦めるよう迫られる子どももいます。
そこから、別の親の元に生まれた可能性、母語が外国語であった可能性などなど、いきなりの諦めラッシュが訪れます。
この辺はもう最初から決まってたことなので気にしない人も多いかと思いますが、物心がつくと今度は自らの選択で諦めなければならない局面がグッと増えてきます。

僕はというと、ものすごく小さいころは野球選手になりたいと思っていました。
なのでまあ、どう理由をつけようと事実として「諦めた」という結果になります。
ただ、別に何の後悔もないし、それをなじられても1mmも心は痛みません。
なぜなら、自分のなかで「野球選手を諦める妥当な理由」を見つけて、自分で自分に刷り込む作業が終わってるからです。
子どもの頃の夢なんてマジで考えるものじゃない、興味がなくなった、他にやりたいことができた…などなど。
理由は色々ありますが、きっちり納得できるピースを揃えたうえで「だから仕方がない」と心底思えてるから気にならないわけです。

この「自分自身で納得に足る諦める理由を揃える」能力を、僕は勝手に「諦める才能」と呼んでいます。
今ググったら似たようなことを言ってる人は結構いました。見なきゃよかった。

さて。
最近思うのは、「宇宙に行きたい」みたいな荒唐無稽なレベルではなく、もっと身近なレベルでこの「諦める才能」が足りなくて苦しんでる人を結構見かけます。
なので、ちゃんと自分で自分を騙せる「諦める理由」を探す訓練は、はやいうちにたくさんしておいた方がいいと思います。
具体的にどうすれば訓練できるのかと言われると、僕には「とりあえず挑戦してみる」というぐらいしか思いつきませんが。
チャレンジしたことがないと、なんとなく自分にもできるんじゃないかという幻想を抱えたままずっと生きていくハメになるんですよね。
しっかりチャレンジして、それで惨敗する。一番効果的な諦めの理由だと思います。うまく行ったらそれはそれで御の字だし、考えようによってはデメリットゼロなんですよね。

ましてや今はSNSで他人の生活が嫌というほど可視化される時代。諦めること、夢を成仏させるプロセスを自分の中でしっかり持っておかないと、どこまでも劣等感が追いかけてきます。
21世紀人はもうちょっと諦めることに対してポジティブになったほうがいいよなぁと、自戒も込めて思う次第です。