恐怖の頭脳改革

大罪を犯して人間としての苦役を背負ったパグ犬が必死に頭を使って考え事をする場所。

ゴールデンカムイはなぜ「ヒンナ」なのか?

 

観てますよ、アニメ「ゴールデンカムイ」!

いやあ、出てきましたね白石。アニメはどんな感じになるかと期待していましたが、やっぱ白石は良いキャラしてます。白石と尾形、それからアシリパさんが推しです。

 
 この「ゴールデンカムイ」ですが、ここ3年ほどで僕が読んだ漫画の中で一番面白い作品でした。伊達に色々な賞を受賞してないですね。しかし、同時に実に奇怪な作品でもあります。メインプロットはアイヌの少女と退役軍人の金塊探しなのですが、そこにサバイバルやグルメやギャグ、濃厚なマッスルが加わって要素のチタタプと化しています。そんなごった煮の作品を、なぜ我々はヒンナ面白いと感じてしまうのでしょう?

 
面白さは理屈じゃないというのも真実だと思いますが、何せここは何事も理屈っぽく考えるための場所。今日はちょっと、ゴールデンカムイがなぜ面白いのかを考えてみたいと思います。

 

そもそも面白い漫画ってなんだよ

 
まず、映画や漫画、アニメなどを製作する際のおおまかな方向性として、キャラクター・ドリヴンプロット・ドリブンというふたつの方法論があります。どちらも読んで字のごとく、キャラクターを主軸に据えた物語と、ストーリー進行を主軸に据えた物語を示します。そして、おそらく日本のコミック全体を俯瞰してみた時に、主流であるのはキャラクター・ドリブン型の物語です。これは、キャラクター・ドリブンの方法論が、漫画の中でも特に人気のジャンルである週刊連載の少年漫画と相性がよいことが理由であると考えられます。そのため、いかに魅力的なキャラクターを作るかが漫画作品そのものの面白さを左右するといっても過言ではありません。

(この辺りの話は、もはや僕のような一介の人間が口を指す挟む余地がないほど議論されていますが、それはそれとしていずれ考えをまとめられたらと思っています。)

 
では、魅力的なキャラクターを作るには一体どうすべきなのでしょう。僕自身も趣味で漫画を描きますし、間接的に仕事にもしているので実に気になるところです。実を言うと、まだまだ「これだ!」という答えにはたどり着けていません。ですが今のところ、僕はキャラクターの魅力の源は「隙」にあるのではないか考えています。「隙」をうまく演出できるか否かで、キャラクターの出来、ひいては作品そのものの魅力が変わってくるというわけです。

 
では、このキャラクターの「隙」とは一体どういうことなのか。僕が一番好きな漫画のキャラクターを例に引いてお話しします。

 

いつもジョジョの話してませんか?

 

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©LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社



ファニー・ヴァレンタイン大統領」です。


ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン」のラスボスであり、1890年のアメリカを統べる第23代合衆国大統領です。(異論がある方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は大統領が「ラスボス」だと思っています。)

 
彼はアメリカ大陸を横断する乗馬大会「スティール・ボール・ラン・レース*1」を利用して、手にした者に絶対の幸福を与えるアイテム「聖人の遺体」を手中に収めんと暗躍していました。

 
このキャラクターのポイントは、その動機にあります。本作の主人公であるジョニィ・ジョースターは、天才的な乗馬センスゆえの驕りでトラブルに巻き込まれ半身不随になり、ジョッキーとしても再起不能になりました。ざっくり言うとブイブイ言わしてたウェイ系男子にバチが当たった感じです。そんな彼の目的は「遺体を手に入れて再び歩けるようになる」というものですが、対する大統領の目的は「遺体を合衆国政府が手に入れ、未来永劫にわたって全アメリカ国民を幸福にする」というものでした。

 
彼に私利私欲は一切なく、動機は全く含むところのない本心でした。その圧倒的な正しさの前に、主人公は「貴方のほうが正しい道を歩いている」と一度膝をついたほどです。この手合いの利他的動機のボスで多いのは「死は救済」などとめちゃくちゃな事を言い出すパターンですが、単なる独善でなくその主義主張で実際に幸福になる人間が多く存在し、主人公にそれを認めさせたというのは割と珍しいケースです。

こういった点から、ヴァレンタイン大統領は「主人公が悪、ラスボスが善*2」という近年流行していたパターンの、ひとつの到達点だったと思っています。


しかし、上に書いたような高潔でカッコイイことだけがヴァレンタイン大統領のすべてなら、実はキャラクターとしては0点です。その理由は単純で、「主人公はジョニィ・ジョースターだから」です。アニメや漫画のマンネリ化に飽きてくると、よく軽口で「主人公がぼろ負けする話を見てみたい」などと言ってしまいますね。ですが、実際そんなものを見せられたら実につまらないです。なにせ最近見せられましたからね。

その話は置いておいて。ボスキャラクターとは、主人公の目標達成における最後の障壁です。結果的に主人公が死んだりボスが死んだりは作品によって様々ですが、ボスは精神か肉体のいずれかにおいて主人公に敗北しなくてはなりません。その意味で、ヴァレンタイン大統領は無敵に近いキャラクターでした。精神力は強靭そのもの、社会的地位も高く、持っている超能力も不死身に近い強烈なものです。そんなキャラクターの敗北を読者に納得をもって迎え入れてもらうために重要なのが、大統領の性格に設けられた「隙」の数々です。

「隙」とは「人間臭さ」

ヴァレンタイン大統領の隙は、主に「テンションが高いと奇行に走り、低いと八つ当たりをする」という方向性で作られています。

ビールの「ショットガン飲み」を試してテンションが上がったり、足でマンドリン(弦楽器の一種)を弾いたりします。基本的に非常に余裕のある人格ですが、生まれの貧しいキャラクターとの同盟交渉で手玉に取られたときは思わず「貧乏人のカスがァ~」と毒づいてしまいます。我が身を犠牲にしたレース主催者のせいで主人公を取り逃がした時は、「殺さない」という約束は守る高潔さを見せつつも、どうしても気が収まらないので八つ当たりにぶん殴ったりします。

どんな男性も女性的な部分を、どんな女性も男性的な部分を持っているように、人間は必ず心に矛盾する要素を抱えています。
ヴァレンタイン大統領の場合、「主人公を挫くような圧倒的正しさ」という物語上の役割に、それとは矛盾する欠点――ちょっとお調子者で、根に持ちやすく、自身の正当性を鼻にかけているところがある――がくっついているわけです。

一方のジョニィは基本的に利己的で、殺人を躊躇せず、窮地に際して涙を流す弱さがあります。ただ一点、「相棒を心から信頼し、その死に涙を流し、心から復活を祈る」という優しさを「隙」として持っていました。最終的にジョニィは、相手を見下し信用しないという大統領のクセを突いて、彼を打ち倒します。たがいに隙を見せ合った末の決着だからこそ、読者は納得して受け入れられるわけです。

隙とは、キャラクターを単なる物語を動かすための装置とせず、生き生きとした「人間」に変化させるために必須の要素です。最近よく言われる「最強系主人公のつまらなさ」というのも、結局のところこの隙が欠けているところに帰結すると僕は考えています。

長々と書きましたが本質はごく単純な話。ウサギの世話をしてる不良に、僕らはいつだってときめいてしまうわけですよ。ここまでの流れをものすごくわかりやすく端折って言うと、「ギャップ萌え」という言葉になるわけです。
そして、キャラクターが抱えたその隙=ギャップ=矛盾が、磁石の同じ極同士を向けたときのように反発し合い、物語の原動力となるわけです。

 

では、ゴールデンカムイはなぜ面白いのか

最初に話を戻しましょう。

ゴールデンカムイのキャラクターたちは、ここまでで触れてきたような「隙」の演出が非常に見事です。ゴールデンカムイのキャラクターたちは、基本的に明るく素っ頓狂なキャラクターたちです。そのせいでだいぶ騙されますが、冷静に考えてみるとアシリパ・杉元一行は正直かなり危うい寄り合い所帯です。そもそも入れ墨を持つキャラクターたちは全員犯罪者ですし、そのうえそれぞれ腹に一物あるキャラクターたちですから、いつ裏切りで崩壊してもおかしくありません。そんなシリアスさと持ち味であるギャグのあいだで物語をうまく宙づりにしているのが、杉元の荒んだ殺人者としての精神性であり、白石の脱獄王としてのプロ意識であり、尾形の根っこにある人懐っこさであるわけです。あと谷垣のセクシーボディ。

もしも白石がただのおもしろバカで、尾形がただのサイコパス狙撃手で、杉元が不死身でただ無敵というだけでは、全く面白い話にはならなかったでしょう。それぞれがメインとして持つ役割と相反するものを抱えているからこそ、ゴールデンカムイの物語は魅力的で厚みのあるものになっているわけです。

つまるところ、ゴールデンカムイが面白い理由は、キャラクターが魅力的だからです。壮大な前振りに対してあまりにも単純な答え。しかし、この「隙」の考え方は、漫画は言わずもがな、映画やアニメ、スポーツ、果ては僕たち自身の生き方にも応用できます。今日の目的は、それを皆さんに紹介することでした。

まあ、人間ちょっとぐらい隙があったほうが面白いってワケですよ。

ヒンナヒンナ。

*1:なんで馬のレースなんだよと思われるかもしれませんが、まあオリンピックみたいなものです。作中ではものすごい経済効果があるという触れ込みでした。

*2:分かりやすさ重視の表現ですが、詳しい人にはものすごく突っ込まれそうなので一応言い訳をしておきます。この悪は「部分最適」、善は「全体最適」を指します。主人公の動機のほうが私的なものということです。