恐怖の頭脳改革

大罪を犯して人間としての苦役を背負ったパグ犬が必死に頭を使って考え事をする場所。

僕は40代の証券マンです。

 

大嘘です。見てくれはそれぐらい老けてますが。

 

ところで、僕はこんなウソをしょっちゅうついています。

タクシーの中で。

 

そう、僕はタクシーの中で「赤の他人のふりをして運転手さんと話をする」のが大好きなんです。

 

ルールは3つ、運転手さんやその他の人が不利益を被るようなことを言わないこと。必要だと思ったらきちんとネタばらしをしてから降車すること。そして、装う人格は架空のものにすること。実在する他人のふりをしてはダメです。

 

なんでそんなことをするのかと言われると僕にもはっきりとはわかりません。けれど、役者に憧れたことってありませんか?

お遊戯会の劇で、めんどくさいと悪態をつきながらも、他人になるっていう非日常体験に内心ワクワクしたことってありませんか?僕は、どちらかというとそのタイプでした。

お笑い芸人のロバート秋山さんの「クリエイターズ・ファイル」ってあるじゃないですか。もう身なりから喋り方まで、作り上げた架空の人物になり切ってるやつです。ファッションデザイナーや声優、果ては農家まで、なんでもござれでやっています。多分、僕はああいうことがしたいんだろうなと思ってます。

 

ところがこの高度情報化社会で、後腐れなく誰にも迷惑をかけずに他人になるというのは本当に難しいです。いや、まあ、大半の人にとっては別に他人になる必要なんてないと思いますが。そんな僕にとって、タクシーの中というのは運転手さんとその場限りで1対1、ある種のサンクチュアリなわけです。

 

一体そこで僕と運転手さんがどんな会話を繰り広げたのか、2つほど実例をご紹介します。

 

① 5年前まで女性だった人

これは文字通りです。性自認という難しい問題に対して、こういう高度なコミュニケーションを要求される業種の人がどう反応するのか気になって作ったキャラクターでした。果たしてその運転手さんは大変な人格者で、「外野は色々言ってくるだろうけれど、自分が真実だと思ったことだけを信じて生きて行けばよい」という大変含蓄あるお言葉を頂きました。

② アンティグア・バーブーダに転勤する証券マン

これは僕の奇癖を知っている先輩とタクシーに同乗した時、向こうから仕掛けられたパターンでした。向こうがひたすら無茶苦茶な設定を振ってくるので、それに答えていたら出来上がってしまった人格です。「40代で娘がふたりおり、東京証券取引所が今度アンティグア・バーブーダに建設する証券取引所のオペレーション業務に従事するため単身赴任する」というキャラクターでした。めちゃくちゃですね。

ちなみにアンティグア・バーブーダカリブ海にある小さな国です。自宅のトイレに貼ってある世界地図で、一番目につく位置にある国なので覚えてしまいました。芋料理が名物らしいですよ。たぶん証券取引所はない。

 

人生において赤の他人になれる機会なんて、戸籍を捨てて出奔でもしない限り基本的に巡ってきません。それだけに、赤の他人の視点に立ち、赤の他人に感情移入しながらしゃべるっていうのはものすごく色々な発見があります。自分が「これはちょっと」と思っていることでも、キャラクターの口を通して言うとあっさり受け入れられちゃったりします。

 

そう考えると、そもそも自分が本物だと思っている自分自身も、こうやって「なりたい自分」のキャラクターを作って無意識に演じることで出来上がったものかもしれないですね。「実存は本質に先立つ」というやつです。

 

とまぁ、こんなふうなことを懲りもせずいまだにやっています。飲み会で話すとあからさまに引かれるのでおすすめはしませんが、役者に憧れたことがある人なら1度ぐらい試してみるとなかなかクセになりますよ。

 

 

 

 

卍解習得と医学部合格はどちらが難しいのか?——ジャンプ血統至上主義という幻想

【警告】この記事は、漫画「BLEACH」の全編にわたるネタバレを含みます。

 

傘で卍解ってやったよね?

 

僕はBLEACHが大好きです。

 

尸魂界編は、あの当時のジャンプで一番刺激的な漫画だったと今でも強く思っています。今はなき渋谷こどもの城で作った木製の剣に自分で斬魄刀名を彫り込んで、解号と能力まで考えていました。夜鴉(よがらす)だった気がする。これ以上はやめよう。

 

さて、そんなBLEACHも完結から早1年半が経ちますが、今日はそのBLEACHを通して、週刊少年ジャンプにまつわる、ある「幻想」について考えてみたいと思います。

 

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ごあいさつ

 

考えること、好きですか?

 

おそらくですが、嫌いな人のほうが多いでしょう。嫌いなんてもんじゃない、大嫌いだという人もいるかもしれません。考えるのが好きだという物好きは、最後の段落まで飛ばすか、「ラジオスターの悲劇」を聴きながら流し読みしてください。たぶん2回目の「アーワアーワ!」のあたりで結論に行きます。

 

さて、最初に嫌いだと聞いておいて申し訳ないですが、せっかくこのページを開いていただいたご縁で、あなたにちょっとだけ考えてみてほしいことがあります。

 

どうして、あなたは考えることが嫌いなのでしょう。

 

学校で散々退屈な授業を聞かされたから。

考え事をするとなんとなく胸がもやもやしたり、暗い気持ちになったりするから。

どうせ自分には解決できないことだから、と無力感をおぼえるから。

自分は馬鹿だから考えても仕方ないと思うから。(そんなことないと思いますよ!)

 

理由は色々考えられます。

でも、ちょっと待ってください。

それって、「考えている」んじゃなくて「悩んでいる」んじゃないでしょうか。

 

何を言葉遊びをと思われるかもしれませんが、この2つにはハッキリとした違いがあります。僕はそれを、「その問題についてちゃんと知ろうとしているか」だと考えています。向き合っている問題について情報が揃わないまま無駄に頭ばかり使うと、その瞬間からそれは「悩み」に姿を変えます。将来とか性格について悩みだすと止まらなくなるのも、ありがちな言い方をするなら「自分のことって意外と自分じゃわからないから」だといえるかもしれません。

 

たぶん、考えるということは本来もっとシンプルです。

クイズ番組やパズルなんかが好きな人は結構いるんじゃないでしょうか。ああいうものが楽しいのは、解けるように設計されているからです。つまり、考えるにあたって本来調べなければいけない情報が最初から用意されている状態です。

 

じゃあ、日々の悩み事も、もしそんなふうに形を変えられるとしたら。

ちょっと考え事も楽しそうな気がしてきませんか?

 

マジな話、いくら嫌いだからといって何も考えずに生きるのは無理です。明日の朝起きる時間、食事の献立、仕事や勉強についてなど、向き合わなければならないことは山ほどあります。それなら、なんとかそういう問題を、楽しめるとまでは行かずとも頭の痛くないものに変えたいじゃないですか。

 

もっと言うなら、世の中に転がっているちょっと引いちゃうトピックやグロテスクな事件も、クイズのように考えることができたら、最近のちょっとイヤな感じの世の中も若干楽しくなりそうですよね。

 

そんなふうに、日々僕を「悩ませている」さまざまなトピックについて、僕が調べ、分析し、「考える」段階まで持って行った道筋を誰でも見られる形で保管しておくのが、このブログ設立目的です。

僕が好きなコンテンツの話だったり、犬種の話だったり、食事や、稀に仕事の話だったりするかもしれません。基本的にすべて私見です。しかも僕はこの間漢字検定2級に落ちました。その程度の人間の落書きだと思ってご笑納いただければ幸いです。

 

(なんだか逃げの一手みたいですが、無論ここに書いたことの責任からは逃げません。発言はすべて僕個人の責任に帰属します。)

 

そんなくだらないブログですが、もしもいつか、あなたのちょっとした「悩みごと」を、「考えごと」に変えるきっかけになる日が来たらいいですね。

 

長い挨拶になりましたが、皆さんが僕と一緒にあれこれ考えることを楽しんでくれたら嬉しいです。

 

そろそろ「ラジオスターの悲劇」のサビかな?

 

2018年4月12日

だめがね 拝